坂本龍一 インタビュー 最新情報まとめ
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最新の口コミ・評価・レビューコメント
そうねー😊
ストーンズは下手だけどカッコよかったです😮!
往年になるに連れ上手くなった🤔
ザッパとか病的に上手い🙃
坂本龍一さん、ストーンズは「下手さがカッコいい」 05年サンケイスポーツインタビューで自身の音楽史を振り返る
音楽家でアーティストの故坂本龍一さんは、「戦場のメリークリスマス」「ラスト・エンペラー」などの素晴らしい映画音楽でも知られ、2020年3月のインタビューでは、映画音楽への信念や流儀を語ってくださいました。
ご冥福をお祈りいたします。
フィルモグラフィ▶
新宿高校/坂本龍一インタビュー
地元ラジオ局では先ほど、坂本龍一さんが過去に地元コンサートに訪れた際に収録されたインタビューが放送されました。
坂本龍一さんの追悼コーナー見て恥ずかしながら経歴を初めて知った。インタビューも物腰柔らかいしこんなに素敵な人だったのね
坂本龍一はロッキンオンジャパン創刊号でインタビューされているのだが、ミュージックマガジンが彼の新作アルバムを低評価していたのに腹をたて「あの雑誌は最低です。いつかは肉体的に解決します」と物騒な発言をしていた。
音楽批評が活発でミュージシャンも真剣にそれに応えていた良い時代だった。
坂本龍一自体は若い頃原発推進の何ちゃに関わったとか色々失言あったりして脇が甘いとこはあったんだけれども、本人インタビューの中で「体制反対とか周りを煽って自分は学校に行く」とか言ったりしてたので、まぁ調子のいいとこはあったと思う。
テレビで坂本龍一さんの生前のインタビューで、戦メリのテーマについて、気を失った後に譜面を見たらあのメロディーが書かれてあって自分で作った感じがしないって答えていた。僕の記憶ではテーマ曲として3曲書いて、教授が一番よくないかなと思っていた曲が結局選ばれたって記事で読んだことがある
#坂本龍一
まだほとんど知られていなかった
YMOに入る前のインタビューを
ロック雑誌で当時、注意深く読んだ記憶。
ヘルメットにゲバ棒の学園紛争盛んなりし頃、
新宿高校の帰りによく紀伊国屋書店の哲学書コーナーで立ち読みしてたという。
後に上京し紀伊国屋書店に
行ってなんか感動したっけ
骨の髄まで国粋主義だった黛敏郎の姿には、同じく国粋だった山田耕筰の覆轍を踏むかの様に私は感じていた物ですが、黛司会の題名のない音楽会にゲストで呼ばれ、茀然が悪そうにし乍らも黛の前で踏ん反り返ってインタビューしていた反骨の姿勢は、遉坂本龍一を貫いたと思わせました。
坂本龍一について最初に詳しく知ったのが「戦場のメリークリスマス」だったから、インタビューとか見てもヨノイが流暢に喋ってる…という気持ちで見てしまうね
2020.5.22のインタビュー記事
坂本龍一「“無駄”を愛でよ、そして災禍を変革の好機に」 文明をバージョン1.5に進化させるために | 朝日新聞デジタルマガジン&[and]
mp3ファイルの320kbpsビットレートが主流になったのは坂本龍一さんがインタビューでそう答えたからですね👂
昨年暮れの番組を観る。インタビューで非常に謙虚な坂本龍一氏。悲しいが声は出てない。(声の響きは生命力を表しますね) 演奏は鬼気迫るものがあります。やはり作曲家本人のピアノでないと。
坂本龍一さん、ストーンズは「下手さがカッコいい」 05年サンケイスポーツインタビューで自身の音楽史を振り返る(サンケイスポーツ)
坂本龍一氏が当時お気に入りだったRMIエレクトラピアノの演奏が2:10あたりから聴ける。キーマガでインタビューを読んで、楽器の音聴きたさに『/05』を買った。当時自分もRMIを買ったばかりでね。
みんな知らないと思うけど、もともと坂本龍一は反原発じゃなかったんだよ。『未来派野郎』の頃、チェルノブイリ原発事故の後だったけど、「僕は科学の力を信じている」って新聞のインタビューで応えていたよ。朝日か毎日だったと思うけど。
修士論文でインタビューの日本語を調べていたので、これを観ました。
坂本龍一という人ができあがった一端が語られていました。
ちょうどランダムのプレイリスト流してて「あ、バッハだ」と思ってそのままスルーしてこの記事読んでたらどの部分で感じたのかが探せずにいる(泣)
『Ryuichi Sakamoto: CODA』坂本龍一 インタビュー @i_dより
浅田彰さんへのインタビュー。さすが。
完璧な「音楽機械」だった坂本龍一さん ひとりの人間となり、去った
坂本龍一の死。昨日は動揺と受け入れたくないという心理状態だったが、今日になってうっすらと悲しみ、そして、喪失感が現れてきた。教授の独占インタビューが特典映像として付いているという理由でPAL方式の仏版ラストエンペラーのDVDを個人輸入したのを思い出す。
追悼:坂本龍一。1996年のインタビュー記事です。
坂本龍一氏はかつて、グラミー賞受賞後のインタビューで「これを次の仕事のためのチケットと思う」とコメントをした。仕事の報酬は仕事という言葉があるが、坂本氏も、似たような言葉を遺してしたのだなと。「チケット」というワードが、音楽家らしいとも感じた。ご冥福をお祈りします。
【新宿高校、坂本龍一、そして戦艦三笠】
世界的音楽家、坂本龍一さんが死去。
新宿高校時代、塩崎恭久元官房長官との校長室のバリケード封鎖の決行は、高校紛争の象徴として後世まで語り草。坂本さん曰く「実際には戸山の方が中核派の拠点だった」坂本さんのインタビューを基に新宿高校を語ります。
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坂本龍一
新宿高校といえば遠泳。
この行事なしに新宿高校は語れません。坂本龍一さんはインタビューで「館山合宿、六中健児の歌、まだあるの!?」と驚くのも無理はありません。府立六中時代から新宿生のアイデンティティとして100年間続いているからです。
『Ryuichi Sakamoto: CODA』坂本龍一 インタビュー @i_dより
坂本龍一のインタビュー見ると発言が幼くて「昔の中学生みたい」と思ったから、そういう意味では日教組世代なんだろうけど、本人曰く若い頃はノンポリで、社会に関心が芽生えたのは上の子と歳の離れた三男が生まれてからとのこと。それまでは音楽一筋だったわけだから、ああなるのも仕方ないのかな。
Makuakeで支援していた「神山まるごと高専」が無事開校。校歌が坂本龍一さん作曲と知ってびっくり。
学校づくりにはあまり関われませんでしたが(先輩インタビューに載ったくらい)、良い学校になって行って欲しい。
今後も何か学びの場には関わっていきたい。
自分とは主張が異なるが、いいこと言ってるな。
「ただ反対するのではなく推進派の人達はなぜ推進しなければと考えるのか、それを科学的に冷静に分析して反対意見を述べていく姿勢が必要です」
坂本龍一氏インタビュー(同窓生シリーズ第77回 ウェブ版)
サッシャさん、新人の頃の坂本龍一さんインタビュー・教授の優しさ気遣い
日本を慮り、軍国化反対 沖縄 弱い立場の人達の支援等
知の塊だった教授
私たちが遺された音楽と共に胸に抱かなければ
坂本龍一氏の逝去で自作&プレイシンセ少年だったワタシは昨夜から下向き。
YMOのブームが落ち着いた頃、鍵盤専門誌のインタビューで坂本氏は「もうピアノは一度に沢山の発声がで出来る楽器と言うだけで家具調度品みたいな物」と発言が有った記憶が。
でも、後にピアノに回帰して居るのが嬉しい。
「人間と核は共存できない」
福島第一原発事故から1年経った2012年3月。東京で開催された「Peace on Earth」に駆けつけれくれた坂本龍一さんが、グリーンピースのインタビューで訴えてくれました。
いつも市民の活動を応援してくれた坂本さん、心よりご冥福をお祈りします。
坂本龍一さんの訃報。残念だ。昨夜耳にした、彼が確かグラミー賞受賞後のインタビューで『これ(受賞したこと)を次の仕事のためのチケットと思(う)』と。立ち止まらず、さらに次につなげて、いい仕事され続けたんだなと感じ入った。冥福を祈ります。
ジャーナリストの立花隆が大学で教えていた時のゼミのプロジェクトで『二十歳のころ』というインタビュー集がある。有名無名の人々が二十歳のころに日々いったい何を考えて過ごしていたのかを尋ねるという好企画で、インタビューされる対象には大江健三郎と坂本龍一の名前もある。
図らずも、坂本龍一氏に関する知らなかったデータや有意義なインタビュー、貴重な資料がポコポコと出てくる結果になっている。有難く読ませてもらおう。
@hiroshimilano 大島渚監督の一周忌に「忘れられた皇軍」(1963年)の一部分がNNNドキュメント'14 で放送され、日本が日本人として召集し、戦地に行かせた人達。国籍を盾に補償を拒否された傷い軍人達の存在を私は初めて知りました。大島監督のインタビュー、どこかの媒体で紹介されますように。
坂本龍一さん。R.I.P.
前に坂本龍一のインタビュー記事を読んだら、ラストエンペラーで甘粕を演じた際、自決する方法について演出に意見して変えさせたようなことを言っていたな。最初は史実通り服毒にしようとしたが、坂本が「フランス留学帰りの甘粕の美学に合わない」として拳銃にして貰ったとか。
坂本龍一さんのインタビューとか朝からずっとTVで流れてるんだけど、言葉ひとつひとつ共感で胸が熱くなる
坂本龍一と仕事した時のロディ・フレイムのインタビュー「あの黒髪!太くてカッコイイ黒髪!クゥー」みたいなのクロスビートで読んだ
坂本龍一さん亡くなったか。「BGM」に入っていた「Mass」は恐ろしく気に入っていたし、今でもいい曲だと思う。当時音楽誌のインタビュー記事で「Mass」は自分たちの葬儀をイメージした、と言っていたが、本当にそうなる日が来るとは。
坂本龍一さんは私の中では「フリクションの軋轢をプロデュースした」というのが一番の印象。チコヒゲさんがインタビューで「なんかわかんないけど日本版NO NEWYORKをやりたかったんじゃないの?」と答えててやっぱ目の付け所ちがうな〜と思いました。
坂本龍一さん、ストーンズは「下手さがカッコいい」 05年サンケイスポーツインタビューで自身の音楽史を振り返る - サンスポ
坂本龍一さんのピアノが、
音楽が大好きで
この前関ジャムでインタビューみて
考え方に感銘を受けたばっかりだったのでとても悲しいです。。。ご冥福をお祈りします。
2枚目のアルバムが矢沢の売り上げを抜き、「飲みに行ったら、矢沢さんに『お前年収いくらだ』とか『キーボード何台持ってんだ』とかからまれまして(笑)
坂本龍一さん、ストーンズは「下手さがカッコいい」 05年サンケイスポーツインタビューで自身の音楽史を振り返る
100年たっても変わらずに歩ける街の姿を残せないものか。パリやローマはそのような都市で、観光資源としての大きな魅力があります。都市が長い年月をかけて獲得する風景を維持する。都市の中で自然環境を守ることは可能ではないかと考えています。|坂本龍一さんインタビュー
矢沢とのやりとりのコメントが。
坂本龍一さん、ストーンズは「下手さがカッコいい」 05年サンケイスポーツインタビューで自身の音楽史を振り返る(サンケイスポーツ)
ご冥福をお祈りいたします。
「大切な故郷、東京が美しく魅力的な場所であってほしい」坂本龍一さんインタビュー詳報:東京新聞 TOKYO Web
【訃報】音楽家の坂本龍一さん死去 71歳
心よりご冥福をお祈りします
『坂本龍一 音楽の歴史』吉村栄一/小学館
ライターの吉村栄一が直接本人に取材した貴重なインタビューとTV、ラジオ、新聞、雑誌ほぼすべての資料を基に、その音楽人生を描ききった渾身の「音楽活動の記録」
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