原節子 画像 最新情報まとめ
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最新の口コミ・評価・レビューコメント
「三本指の男」(1947)-東横映画(のちの東映)。監督松田定次。片岡千恵蔵、原節子、美津田源、風見章子。原作は「本陣殺人事件」であり、「殺人」の言葉を占領軍が禁止したために使えず。金田一耕助探偵の初の映画。ミステリーブームの契機となり、白石静子が助手を務めた最初の映画
一家の出戻りの長女とかつての使用人との素直になれない恋の行方がドラマチック✨
私的には原節子様の品のある言葉使いと抑揚の美しさが素敵でそれが聴きたくてリピートしてしまいます🥀
この映画の中にある美しい日本語は今の日本にはありません。
ホン・サンスの『逃げた女』予想よりむちゃ面白くてうれし〜!
不穏、シュール、不思議を行き来しながら共感もあって、でもやっぱり掴みどころがない。あのリアルな演技で素っぽいのに、絶対本心を隠してそうなキム・ミニ、面白い。原節子みたい。普段映画を観るときと違う時間と回路が流れますね〜。
久々所蔵V📌冒頭、叔父の再婚に「不潔」と笑顔で言い放つ。輝く原節子の「娘」心理は妙に蠱惑的。出戻り親友(月丘夢路😍)に「行っちゃえ」と結婚をけしかけられても父想いの笑顔だが、能舞台鑑賞で父の再婚に嫉妬する能面的な恐い眼差し「このままでいたい」と父に告白する婚前旅行の愁いも😍
白痴。美しい人が出ている、世界の役者が出ている、そういう事もありますが、それ以上に画面に惹きつけられるんです。原節子も三船敏郎も30分以上出てこない時間があっても目が離せない。黒澤明の映画への執念が観客を掴むんだと思ってます。
二本柳寛と伊豆肇は一時期“近所だった”の関係からか?昭和26、27年の映画&大衆雑誌企画にともに出ている事がある。/【平凡】では、鎌倉の原節子宅へ訪問しているし。/映画での直接共演は【やぐら太鼓】だけ。寂しいな。
「秋日和」の当時のポスターではクレジットトップは何故か脇役の岡田茉莉子。😮 やはり松竹自社スターだから? 日本映画あるあるですね。😑
本来なら原節子か司葉子であるべき。映画ではその二人が並んでトップに来ている。😐
ネオ書房『佐藤利明娯楽映画研究所 娯楽映画の昭和VOL.10思ひ出の東京』④
『若草物語』を日本映画に直した山本薩夫監督の『姉妹の約束』。浅草をロケをふんだんに取り入れた石田民三監督の『夜の鳩』。
戦前のユニークな映画が紹介されていき、『姉妹の約束』では主役の原節子の魅力を強く語られた。
尼ブラックフライデーで目に入ってポチリ>颱風圏の女。原節子が珍しく汚れ役を演っている映画として知られるが、最後まで観るといつもの彼女からさほど逸脱はしていない印象も。松竹大船だが大泉で撮影。台風など特撮は円谷英二で音楽は伊福部昭と『ゴジラ』好きなら一度観ておいて損はない。
「諏訪〜なぜ人々は諏訪を目指すのか?〜」。縄文人は透明の黒曜石や片岩を求め、諏訪大社祭神の建御名方は出雲の国譲りで敗れ、1941年の映画『大いなる感情』で原節子さん、1958年の映画『知と愛の出発』で芦川いづみさん、1960年の映画『波の塔』で桑野みゆきさんがロケで諏訪を目指す!
@hikaru_sth 当時の若者の風潮を加味しないことはないとは思いますが、自然さよりも、不自然でも構図の美を選択するのが小津ではありますね。これは同じ作品における司葉子と原節子。
アマプラで■『晩春』('49松竹)。
ただでさえ上背のある原節子をローアングルで撮るもんだからカモイに頭をぶつけそうで怖い。小津映画なので結婚をしつこく勧めるシーンもハラハラするし、なにやら明け方に見る悪夢のようだ。1949年キネ旬1位。
さっきの投稿間違えて消してしまい、いいねくれた方すみません💦
小津安二郎監督『晩春』観ました。最高でした。原節子さん、月岡夢路さんの美しさ。 笠智衆さんのお父さんの姿。撮り方、音楽、あの時代の人々、生活、全て好きだと思った。泣いて、泣いて、最後また涙。
映画ってこんなに面白い。
戦時中は映画スターのブロマイドは、大量に兵士に持ち出された可能性が高い。高峰秀子に限らず、戦前からスターであった田中絹代や原節子などのブロマイドは戦場に兵士がポケットに入れ、戦死すれば遺品として戻ってきて、遺族からスターに返されたこともあったようだ。
映画雑誌グラビアに載った伊豆肇はこれが1番良い。(昭和26年)/伊豆が写っているスチール写真では、この2枚を探しているが見つからず・・。(【アルプス物語野性】【きけわだつみの声】/原節子、花澤徳衛、河野秋武
この映画で、森雅之は眼鏡をかけて坊主頭だった。一度観ている。彼は身を引こうとして満州に旅立つが、母親杉村春子と三女桐枝(原節子)も中国大陸へいく。後年の翳りがありニヒルな人柄ではない。戦後に個性的な味わいが出てくる。
○森雅之の言葉 ーー初の恋人役
舞台度胸は相当についていた僕も、天下の美女(原節子)と恋を語る段となるとすっかり上がってしまって、「映画の方は一年生ね」と、原さんに一本きめつけられて、恐縮しました。
「母の地図」(1942)で映画デビュー。誠実な人柄の青年で原節子の恋人役だった。
11月13日は滝沢修の生誕日(1906〜2000.6)。俳優、演出家。戦前から劇団の俳優として活躍、戦後に宇野重吉らと1947年民藝を結成。映画では同年「安城家の舞踏会」で没落華族の当主を主演。「わが生涯のかがやける日」、「野火」など。戦前、「巨人伝」で大河内伝次郎や原節子らと共演していたとは。
『驟雨』(1956)
成瀬巳喜男監督お得意の夫婦ドラマ。結婚生活で倦怠期を迎えた夫婦の何事にも無感動になったやり取りを描く。そこに隣の若夫婦や姪、町内の人々、会社の人々が加わり展開する群像劇。原節子、香川京子、佐野周二、小林桂樹、加東大介と豪華な俳優陣の演技を楽しめる作品でもある。
○落語家立川志らくの言葉(2)
「白痴」は失敗作ではあるが、原節子の芝居はゾクゾクする。「秋日和」の時と同じく凛としてクール。だが目が怖い。これがゾクゾクの原因。成瀬巳喜男の「めし」での原節子は実に空気のように優しい。あらゆる監督で力を発揮した原節子。でも一番輝いていたのは小津作品
小津安二郎&ウディ・アレン。
本日(11/10)のテレビ放送はありません。
ちなみに、小津作品『東京暮色』で 明子(有馬稲子)と孝子(原節子)が帰宅したのは ”夜半” とか〈シナリオより〉。
[午前1時台とか午前2時台とか関連]
「晩春」(1949)の紀子(原節子)は、見合いで結婚した。父親のそばにいたかったが、父親笠智衆が結婚するというので見合いに同意した。実際の原節子さんは、この映画についてはあまりよくは思っていなかったとか。志賀直哉との対談では中くらいだといっていたが。
この日章旗を見るたび世界平和を願う…。戦争と映画…あの時代を忘れてはいけない…。「女の座,狸の王様」等の映画プロデューサー管英久氏が出征する際、東寶撮影所の製作陣、俳優陣が寄せ書きした出征旗。原節子さんの名も…。東映太秦映画村の映画文化館には藤本真澄氏の出征旗も収蔵されている…。
この日章旗を見るたび平和を願う…。戦争と映画…あの時代を決して忘れてはいけない…。「女の座,狸の王様」等の映画プロデューサー菅英久氏が出征する際に東寳撮影所の製作陣、俳優陣が寄せ書きした出征旗。原節子さんの名も…。東映太秦映画村映画文化館には藤本真澄氏の出征旗も収蔵されている…。
○俳優吉岡秀隆の言葉 ー「晩春」に
ついて
僕も感動中です。やっぱり笠智衆さんの何かを超越している感じが、色っぽくて人間的な魅力でありますよね。原節子さんも美しく、本当に素晴らしかったです。(10月29日)
東京国際映画祭での「晩春」のトークショーにて。
東京暮色
小津安二郎監督、最後の白黒作品。暗いとか救いがないとか言われてますが、今見ても古くない味わいがありますよね。こういう作品に特に原節子さんは特に力を発揮します。
@hirobay1998 @kenso1978 1990年の「映画王」に掲載された文章で、坂本さんと加藤さんの名前が出ていますね。
原節子の名前も出ていますが、驚くのは既に役所広司の名前が挙げられている事。「あ、そ。」で片付けられていますが(笑)
車を運転している原節子さんの映画は、私の知るかぎりでは2本ですね。
「東京の女性」(1939)ー19歳。
この映画をソフト化して欲しい。輸入車の運転。画像でははっきり写っていないですが。ラストシーンの1、2分でしょうか。もう1本は「かけ出し時代」(1947)の新聞記者ですね。
○原節子の言葉 ー 映画について
…日本映画そのものに、ハッキリとつらぬくような個性がないですもの。そして世界観が乏しい。リアリズムも底が撞けないか、あるいは詩がないのよ。
(「近代映画」1951年)
現在でも課題のテーマ。リアリズムについても、未だに未解決な問題では。
とある方からのオススメ✨
明日は朝少しゆっくりだし今から見るよ(笑)
原節子さんのデビュー作らしい(*^^*)
これぐらいの古い作品が見れるアマプラはなんて素敵(笑)✨
成瀬巳喜男監督の『山の音』をU-NEXTにて再観。当時の日本ならではの男女の微妙きわまる在り方を、得意の眼線芝居や移動撮影を駆使し、客観冷静に捉える成瀬巳演出はやはり秀逸。可憐な原節子さんと老け役の山村聰さん達も上手いが、"ぽてちん亭主"役の上原謙さんが実にハマり役!😆
1955(昭和30)年の新東宝映画『ノンちゃん雲に乗る』より、原節子さんと鰐淵晴子さん。
グラフィックソフトを使った修復・彩色加工データに、AIによる高精細化加工&色付けデータを効果的に加えたカラー化写真。
NHKBS よみがえる新日本紀行「原宿」
1973年と言えば実に半世紀前。色々衝撃を受けた。特に当時の若いおしゃれ女性の話す日本語。小津の映画の原節子さんみたいなイントネーションで「わたくし」とか。あと28歳の山本寛斎氏の何と颯爽たる姿!
の映画は始めてでしたが、感動しました。
「東京」として描かれるのは、東京の風景ではなく東京の人間模様。人の身勝手と人生への諦念が、全編を覆っています。
「そう。嫌なことばっかり」
笑顔で話す原節子の諦めと美が、心をえぐります。
(1953)
伏水修は1910年12月生まれ(肺結核で1942年没)。日活太秦で助監督を経てPCLに移り25歳で監督デビュー。26歳『白薔薇は咲けど』、28歳『東京の女性』(原節子主演)、29歳『支那の夜』(李香蘭主演)、31歳『青春の気流』が遺作。
↓上映『白薔薇は咲けど』『青春の気流』
神保町シアターで佐野周二 お嬢さん乾杯 74年も前の映画。風景や衣装をずっと見てられる。何より原節子が口にする美しい言葉に しびれた。父か母は見たことあるのかな、もう聞けないのが少し寂しいです。
ふと思った。#のっち が年齢を重ねると、こんな感じになるんじゃないか、原節子さん。戦後の小津映画での姿しか知らないけれど、時代を象徴する方であった。お幾つの写真か分からない、3人がいくつになったとしても でいると は宣言している。未来のアイコンとなるのか。
集英社の『青春と読書』、森まゆみさんが東宝の助監督だった中谷健太郎さんにインタビューされててこれが面白いんですよ。『ふんどし医者』の思い出話が貴重、遅刻の森繁に原節子さんが怒ったというエピ、知らなかった…。あの森繁のことだからどこかに書き残してないかなあ。






























